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武田塾 御茶ノ水本校

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【古典作品】『保元物語』|「3分でわかる!」シリーズvol.37

「保元物語」をはじめからていねいに

こんにちは。
御茶ノ水本校講師渡邉です。
今回は「保元物語」についての解説を書いていきたいと思います。

⑴誰でもでも分かる『保元物語』

作者:不詳
成立時期:鎌倉時代
ジャンル:軍記物語

⑵登場人物は、どんな人?

登場人物①崇徳上皇(崇徳院)
プロフィール:第75代天皇。白河法皇と母璋子が密通して生まれた子であり、鳥羽上皇に「叔父子」と疎まれる。5歳で即位したものの、24歳の時に異母弟の近衛天皇に無理やり譲位させられる。近衛天皇死後も実権を握れず、鳥羽上皇との不仲が原因で後白河天皇が誕生する。その後、後白河天皇に対し保元の乱を起こすが敗北し、讃岐に流罪に処されたのち、憤死。

登場人物②源義朝(左馬頭)
プロフィール:源氏の棟梁。保元の乱に際しては、父・為義、弟・為朝ら多くの源氏武士が後白河天皇側についたが、義朝は平清盛らとともに後白河天皇側につく。乱に勝利したのちは父・為義をかくまうが、平清盛が敵味方に分かれた叔父・忠正を切ったことを受け、涙ながらに為義を切る。

関連する人物:為義入道、平清盛など

⑶あらすじ

基本的には保元の乱(1156)の顛末が描かれている。保元の乱は権力の座をめぐって後白河天皇と崇徳上皇が争った事件である。有力な貴族や武士は親子関係なく敵味方に分かれて争った。(藤原氏は父・忠実VS子・頼長、源氏は子・義朝VS父・為義、平氏は甥・清盛VS叔父・忠正)乱は後白河天皇側が勝利し、藤原頼長は瀕死の状態で父・忠実の館を訪れるが、父に面会を拒否されたことで舌をかみ切って自害した。為義、忠正はそれぞれ義朝、清盛により処刑された。また、崇徳天皇は讃岐に流罪になったのち、自らの人生の不幸を嘆き、憤死し、怨霊となった。

⑷『保元物語』は源平の合戦を描いた戦争の記録のひとつ!!

『保元物語』は同様の鎌倉文化の軍記物語である『平治物語』『源平盛衰記』『平家物語』などとともに、源平の合戦を描いたものである。武士が互いに争いながらも貴族に対して大きな力を獲得していく過程は読んでいてとてもロマンを感じる。

⑸作品の評価・歴史的影響

軍記物語としては『将門記』などの先行する作品もあるが、源平の合戦を通して『武者の世』を確立させていく過程としての時代の転換点を描く軍記物語として高い評価をすることができる。(この時代は日本史としてとても興味深いため、時代小説やドラマなどになることも多いので、それらを読んでおくと試験会場で出題されたときに有利に働くかも。)

⑹さいごに

『保元物語』を簡単にまとめますと、3点重要なポイントがあります。
1.保元の乱を描いた軍記物語!!
2.主な登場人物は天皇家、藤原氏、源平の武士!!
3.乱の流れやエピソードはドラマなどになることが多いので見ておくとよい!!

おわり

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